
本シリーズのテーマは「研究者たちのBig picture」。彼らが研究の「先」に見る未来の社会とは?研究と私たちの暮らしはどう繋がっているのか? 彼らのビジョンが、私たち自身のこれからを考えるヒントになるかもしれません。
目標は、多種多様な人たちがテクノロジーによって互いに理解しあえる社会にすること、と語る中條さん。それはどういうことか、価値交換工学での研究について話を聞いてみました。

今回お話しを伺ったのは:
名前:中條麟太郎
所属:東京大学大学院学際情報学府 博士課程
人とテクノロジーの関係を想像し突き詰めると課題が見える
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▶︎価値交換工学ではどのような研究をされていますか。
ひとことで表すと『ヒューマン・コンピュータ・インタラクション』という分野です。略してHCIといいます。これは、コンピュータと人がどう関係しているのか、関係することで人はどう変わっていくのか、といったことを考える分野です。コンピュータ科学、心理学、人類学など、様々な分野の研究者が一緒になって研究しています。皆さんの良く知っているマウスやスマホなどのタッチパネルもHCIの研究から発明されたものなんですよ。
▶︎人とコンピュータのコミュニケーションの研究でしょうか?
人とコンピュータの対話だけではなく、コンピュータが介在した人間同士のコミュニケーションも研究対象です。例えば、テレビ会議システムができたことで、遠隔でも仕事ができるようになりました。ソーシャルネットワークサービス(SNS)によって、これまで関わったことがない人とも容易に繋がれるようになりました。新しいテクノロジーは、人間が他の人と関わる方法、ひいては人間が生きていく方法自体を変えてしまいます。その変化の可能性を探索するのが自分の研究です。最近は、自分の仕事を「ありえる未来のエスノグラファー」だと周囲に話しています。エスノグラファーを直訳すると参与観察者となります。これは、将来こういうテクノロジーがあったときに社会はこうなるはずだ、こうなるかもしれないとシミュレーションし、プロトタイプを作り体験の場を提供します。その時に人はどのように考えどう行動するのかを観察、記録していく人です。
▶︎エスノグラファーは、バック・トゥ・ザ・フューチャーのドクみたいなイメージでしょうか?
そうかもしれません(笑)。新しいテクノロジーによって作られるかもしれない未来を予測して、その未来をシミュレーションすることができれば、想像上その世界に行くことができます。そしてそこで人がどう動くかを観察することで、「未来はこうなっているかもよ」と現実世界にフィードバックできるのです。そのようなことを、新しいテクノロジー、未来のシミュレーション、その観察というように、それぞれ得意な人たちと一緒にチームを組みながら研究をしています。
▶︎ありえるかもしれない未来を予測して人の観察をするというのは、例えば、ホログラフのような新しいデバイスが発達しスマホがなくなった未来、人のコミュニケーションはどうなるか?のようなことを考えるということでしょうか。
そうですね。いわゆる「ガラケー」から「スマートフォン」に置き変わったように、スマートフォンもいつかは、別のテクノロジーによって代替される日がくると思っています。その時に、ユーザはどのように人と関わるようになるのでしょうか。
例えばYouTube ShortやTikTokのような映像を中心としたサービスは、スマートフォンの「手元に収まるディスプレイ」を前提として作られています。LINEなどのテキストチャットや、価値交換で共に研究をしているメルカリのようなフリマアプリも同じでしょう。ディスプレイの形が変わった時に、これらのサービスはどんな形になるのか、それを使う人はどんなことを考えて、そこにはどんなリスクがあるのか、みたいなことを考えている、というと分かりやすいかもしれません。
▶︎それが「ありえる未来のエスノグラファー」ということなんですね。中條さんはそうやって現在のことを俯瞰して見ているのですね。
見れているかわかりませんが、そうやって見ようとしたいとは思っています。
過去に実際にやった研究を例にすると、商品の説明文を書くのは大変ですよね。それを全てAIがやってくれる時代になるのでは?と仮定し、その時に人はどのように感じるのか、新たな問題が起きないかを想像します。次に、検証のためにプロトタイプを作って実験をします。これがあり得るかも知れない未来の体現です。
実験して観察をした結果、人はAIを頼りきり、説明文の正誤を確認しなくなり、正しくない出品情報が流れるリスクが見えてきました。これはユーザーにとってもメルカリにとっても良くない未来です。そしてリスクが分かれば、出品情報を確認したことを示すボタンを設けるなど、対応策を考えることが出来るようになります。このような流れで進めています。
▶︎なるほど。単にテクノロジー花盛りのSF映画のような未来を思い描いてはいないということですね。
もちろんテレパシーで相手の感情がわかる未来といったテクノっぽいことは語れますが、私は技術の発展によって世界はよくなるはずである、というようなテクノロジー至上主義の考えは持っていません。
例えば、テレパシー技術が存在する社会だとして、それを使うか使わないか。使うならどんな場面か。逆に使わないならその理由は何かなど、可能な限りの検証をし想定できる事例を考え、常に人の行動を軸にした研究をしたいと思っています。

一つの分野にとどまらず常に新たな価値を探す
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▶︎最近の研究で新たに手がけているものはあるのでしょうか?
価値交換工学ではないのですが、論文を探索するためのウェブツール「PaperDive」を作りました。論文名を入れると論文の一行要約がAIで自動で生成されるツールです。これには「論文にもぐる」という機能もついていて、その論文に関連する論文の要約を一覧で全部表示することもできるようになっています。ちょうど最近リリースして、今では累計2万人以上の方に使っていただいています。
論文探索の新しい方法です。
— 中條 麟太郎 | Rintaro Chujo (@rintaro_chujo) October 5, 2025
1つの論文を起点に、次に読むべき論文をAIの1行要約付きで無限に発見できるツール「PaperDive」ができました!
サーベイが爆速になります。研究者・大学院生に届け!!https://t.co/dVxFk3gbGq pic.twitter.com/YYk6fvUk8k
▶︎関連した研究をどんどん調べていけるということですか。研究者は重宝しそうですね。
そうです。実は研究者にとって大変なのは、関連研究を探してどんどん深堀していく作業なんです。論文を読むのは人間が頑張るとしても、関連する論文をAIが要約して、読むか読まないかの判断がすぐにできる仕組みがあるだけでも助かると思って作りました。新しいシステムを思いついた時は毎回楽しくて、寝るのも忘れてひたすら開発してるような状態ですね。
▶︎中條さんはさながら宝探しをしているように、さまざまなものから研究の種になりそうなものを見つけているように感じました。
確かにそうかもしれません。私の尊敬している山中俊治先生(プロダクトデザイナー・東京大学特別教授)が、東京大学に着任した時に「ここは宝の山だ」と話したことを聞きました。東大には新しい技術がたくさんあって、社会で使われるのを待っていると。みんなが「これはどうなのかな?」と妄想をするけれど、実際には作らないものや作れないものに、プロトタイプという形を与えて議論できる場に乗せることができれば、世の中の役に立てるのではないかと思います。山中先生には全く及びませんが、自分もそこに少しでも近づけていると嬉しいです。
中條さんの思考の原点になった経験
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▶︎そもそもですが、興味範囲の広さや、さまざまなものをヒントにする思考の原点はどこにあるのでしょうか。
そうですね。振り返ると、小学校のころは、図書館に行くたびに国土交通省から出ている「公共交通機関旅客施設のサインシステムガイドブック」という本ばかり読んでいました。これは架空の駅が題材になっていて、どこにどのようなサイン(標識)を配置すると、障害のあるないに関わらず誰もが使いやすいバリアフリー化した駅にできるか、を検討している本です。その時も、自分が本に出てくる架空の駅を使っていると妄想して、本にはこう書いてあるけどここにはこの標識があった方がいいんじゃないか?など考えながら、読んでいました。未来ではありませんが、「ありえる世界を想像する」という意味では、今とやっていることは変わっていませんね。
▶︎そこからどのような過程を経て今の中條さんにつながるのでしょうか。
特に、テクノロジーがコミュニケーションに与える影響を探索しようと思ったのは、高校生のころの体験が影響しています。
私の出身高校には、視覚、聴覚、知的、肢体不自由それぞれの障害がある人が通っている系列校があります。校舎はそれぞれ分かれていて普段の授業も別々でしたが、時々お互いに交流するための時間が設けられていて、その人たちとコミュニケーションをとる機会がありました。夏休みには、全ての系列校から生徒が集まってキャンプをするという合宿もあり、その実行委員をやったのが今の研究に直接つながるポイントだったと思います。
▶︎それは貴重な経験ですね。
この合宿は「共に生きる」という授業の一環で、10年以上も続いています。私が実行委員をやった時に委員長を務めたのが聴覚障害のある人でした。実行委員会の会議の司会者が、音声日本語を使わず手話を使う人になりました。会議の場での公用語が音声日本語ではなくなったわけです。とはいえ、実行委員全員が手話を使えるわけではないので、最終的には手話通訳の方に入ってもらい音声日本語を使いながら会議をしていました。
そこで自分にも何かできることはないだろうかと考え、会議内容の字幕をディスプレイに投影すると、会議の進行を支援できるのではないかと思いつきました。キーボード入力が他の人よりも早かったので、リアルタイムで議論されている音声言語の内容をタイピングして、スクリーンに字幕で出す、という仕組みを作って、会議中ずっとキーボードを叩いていました。それをやった時に、耳の聞こえに不自由を感じる人からもそうでない人からも、とても喜んでもらえて。この時に使ったテクノロジーはごく簡単なものでしたが、テクノロジーを上手に使うと、コミュニケーションをサポートできるんだ、ということに気がつきました。

テキストはインクルーシブなコミュニケーションなの?
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▶︎高校時代の経験から、テキストコミュニケーションの研究につながるのですね。テキストでのコミュニケーションでは、文化の違いで文脈や意味の受け取りにズレが生じて意思疎通がうまく行かないことはないでしょうか?
価値交換工学の一環で取り組んだ「EmoBalloon」のプロジェクトは、吹き出しを使ったテキストコミュニケーションの感情伝達の研究ですが、吹き出しには丸くふわふわした雲のような形のものやトゲのある痛そうなものもありますよね。丸い雲のような形とトゲのあるギザギザの形を同時に見せて、どちらがキキでどちらがブーバか答えてもらうテストをすると、多くの人が丸いほうをブーバ、ギザギザのほうをキキと答えます。これは異なる文化圏の人でも同じ結果になることが知られています。

心理学でブーバ・キキ効果と呼ばれているのですが、吹き出しは文化の枠を超えて分かりやすい共通のアイコンになると考えています。見て意味がつかみ取れるものと考えれば、吹き出しもテキストに近いといえるので、感情に合う吹き出しの形とテキストを組み合わせることで、よりズレが起きにくい意思疎通ができるのではないかと考えています。さらに、AIの言語翻訳に、各国の文化や慣習も加味して翻訳ができると異文化コミュニケーションがさらに良くなるのでは?という研究も進めています。
▶︎連携しているメルカリへの応用が進むと、もっとスムーズで快適な売買ができるフリマ市場の実現が出来そうですね。
メルカリは、商品の購入から取引完了までのコミュニケーションがテキストだけで行われているところが興味深いです。テキストでのコミュニケーションが上手くいかないとユーザーに不利益が生じますし、メルカリのビジネスそのものにも影響が出ますから、それに課せられる役割がとても重要ですね。
相手の顔や表情が見えにくい環境において、感情の伝達をサポートし、誤解を防ぐことにつながる知見を得ることができれば、メルカリにとって非常に有意義なものになると思います。テキストコミュニケーションの課題は、対面での会話と比べて感情を伝える手がかりが少なく誤解が生まれやすい点ですから、その点を解決できることがひとつの解答になると思います。
▶︎メルカリでのやりとりだけでなく、文化や価値観の壁を越えて誰もがスムーズにコミュニケーションがとれる社会になりそうです。
テキストコミュニケーションはインクルーシブなメディアです。同じ言語圏の人同士でのコミュニケーションはもちろん、翻訳すると他言語間でコミュニケーションが可能です。さらに音声に変換すれば、テキスト以外でのコミュニケーションもとれます。フリマアプリで売買する時だけでなく、数多くの言語圏の方が働いたり障害のある方の社会参画ができる職場では有効な手段となります。
同じ言語を話す人同士でも、専門分野やこれまでの経験が異なることでミスコミュニケーションにつながることもありますよね。このような方々も含めた「異なる背景を持つ人」との円滑なコミュニケーションの実現に、価値交換工学で進める意義がありますし、創造した価値を交換し循環させることで社会に貢献ができると考えています。

▶︎テキストコミュニケーションや感情伝達だけでなく、幅広い領域の誰も思いつかなかったような課題を日常的に拾い、研究成果に結びつけることで社会へ還元していく姿勢と行動は、高校生の頃から異なる文化や背景、価値観を持つ人たちとリアルで接してきた中條さんだからこそと実感できました。中條さんが描く共生社会は、決してテクノロジーありきの社会ではなく、人と人が歩み寄れることをさりげなく支えるためにテクノロジーが存在する社会ではないでしょうか。研究の発展を想像するとワクワク感でいっぱいです。本日もありがとうございました。
価値交換工学広報 河中